6月30日放送の『マヂキタ大草原』(マジカルラブリーの野田クリスタルさん・真空ジェシカ川北さんがMC)で、倉敷蓋事件の真相を取り上げたことが話題です!
「倉敷蓋事件」とは、2004年から2007年にかけて、インターネット掲示板「2ちゃんねる オカルト板」に書き込まれた一連のスレッドです。
合計31スレッドにも及ぶ長編で、今も伝説として語り継がれています。
この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
倉敷蓋事件ってどんな事件?
倉敷蓋事件の結末は?本当の話なの?
- 倉敷蓋事件の概要と結末
- 倉敷蓋事件の元ネタ
倉敷蓋事件とはどんな事件?元ネタと内容まとめ(結末は次項で)
倉敷蓋事件は、2004年から2007年にかけて、インターネット掲示板「2ちゃんねる」のオカルト板に書き込まれた一連のスレッドです。
始まりは、
その書き込みをまとめると、以下の内容です。
- 友人6人と飲酒した後に、車で肝試しに行った
- 倉敷のホテル「ドレミイン倉敷」へ向かう道の途中の茂みにある柵の中に入った
- 建物のない電灯の下に扉があり、開くとなんともいえない臭いがした
- 友人の中の男性3人だけが扉の中に入った
- 5~6分で先頭の「K」以外の2人が「やばい、中に誰かおる!!」と飛び出してきた
- 男性2人は乗ってきた車に戻ったが、HINAを含む女性3人は別の場所へ逃げた
- 20分後、男性2人からKが戻らないと電話があり、女性3人も現場に戻った
- 2時間待ったがKは戻らず、一旦解散
- 18時間経過してもKとは連絡が取れない
スレッドを見ていたネット民たちによって、場所が特定されていきます。
現場に向かったネット民たちも何人かおり、その中でも「区らしき市民」という人が蓋の写真を投稿したことで、現場の実在性が強く認知されました。
その後、ネットで騒ぎを聞きつけた人、総勢10名以上が現地に出向き、写真に撮られた「蓋」を捜索しますが、見つけることはできません。
これが、「倉敷蓋事件」の概要です。
倉敷蓋事件の結末ネタバレ!真相は?結局何だった?
この一連のやり取りの中で、「蓋」が見つからないことやスレッドをたてたHINAが登場しないことから、
そもそもHINAの話は本当なのか?
という疑惑が生まれてきます。
そのタイミングで、スレッド主のHINAが再登場します。
HINAの話によると、
- かなり変な臭いがして、入った男性たちは喉が痛かったと言っている
- Kは気絶して現在は入院中
- Kに直接話を聞くことはできない
- 森の中に蓋があることは間違いない
ということでした。
しかし、行方不明だったはずのKの話が当初と食い違っていることなどから、
ということにネットでは結論づけられ、興味は「写真に撮られた謎の蓋の場所」に移っていきます。
蓋の捜索をしていたネット民の1人が書き込みの発端となった「ホテルドレミイン倉敷」へ行き、詳細の聞き込みを行いました。
そこで分かったこととしては、
ということでした。
これで、HINAの話は作り話であり、「区らしき市民」が撮影した蓋の写真も別の場所で撮られたことがわかります。
そして、その後も蓋の在処は捜索が行われていくのですが、
写真を投稿した「区らしき市民」が福島市の撮影であることを認め、福島蓋事件の一連のスレッドは終わりを迎えます。
なんとこのときには、最初の書き込みから2年4ヶ月が経過していました。
つまり、倉敷蓋事件の一連の真相としては、
全てHINAの作り話で、該当する「蓋」の写真も別の人が全く関係のない場所で撮影した写真だった
ということになります。
まとめ
今回は、2ちゃんねるのオカルト板で長年にわたって話題に上がってきた「倉敷蓋事件」の真相について紹介しました。
まとめると、
- 倉敷蓋事件の発端は、HINAというOLによる書き込み
- 倉敷ドレミインというホテルの近くの林の中に、地面についた「蓋」のような扉があり、中に入った友達が行方不明になったという報告がきっかけ
- その後「蓋」を見つけたという書き込みがあったことから信憑性が高まり、2ちゃんねる内で盛り上がりが加速
- しかし、スレッド主のHINAの供述が曖昧なことから作り話である疑惑が浮上
- 蓋の所在についても、GoogleMapなどを駆使した調査の結果、福島市で撮影されたものであることが判明
- 蓋の写真も別の場所での撮影であったことが判明し、「倉敷蓋事件」の一連のスレッドは2年4ヶ月で幕を
ということがわかりました。
1つの書き込みがきっかけで2年4ヶ月も続くなんてすごいですよね。
また、1枚の写真から撮影場所が特定できるなんて、それもすごい執念ですよね。
倉敷蓋事件自体は作り話でしたが、とても興味の惹かれるお話でした!
最後までお読みいただき、ありがとうございました
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