らんまん破門草事件(トガクシソウ事件)とは?伊藤篤太郎と矢田部良吉の確執も

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2023年4月からNHK連続テレビ小説「らんまん」が放送されています。

らんまんで「破門草事件(トガクシソウ事件)」のエピソードが描かれていましたが、どんな事件なのか気になった方もいらっしゃいますよね!

破門草事件は、伊藤篤太郎と矢田部良吉の間で、トガクシソウの学名を巡って起きた事件として語り継がれています。

今回は、破門草事件(トガクシソウ事件)の真相や、伊藤篤太郎と矢田部良吉の関係性について調査しました。

トガクシソウ事件って何?
伊藤篤太郎と矢田部良吉の確執とは?

この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。

\この記事を読んでわかること/
  • 破門草事件の真相
  • 伊藤篤太郎と矢田部良吉の関係
目次

破門草事件(トガクシソウ事件)とは?

NHK連続テレビ小説「らんまん」の第70話が2023年7月7日に放送され、「破門草事件(はもんそうじけん)」が話題になっています。

破門草事件はトガクシソウ事件とも呼ばれていて、トガクシソウを巡って起きた事件です。

破門草事件(トガクシソウ事件)の概要として簡単にまとめると・・・

新種の植物命名に関する人間同士の功名争い

と言われています。新種の植物を研究していた伊藤篤太郎と矢田部教授の間の抗争なんですね。

【破門草事件(トガクシソウ事件)】

伊藤篤太郎は、叔父が採集したトガクシソウをロシアのマキシモヴィッチに鑑定を依頼する。

しかし、トガクシソウは新種ではなく、メギ科ミヤオソウ属の一種と発表。

その後、同植物の研究を進めていた矢田部教授がマキシモヴィッチに鑑定を依頼したところ、メギ科の新属ということが判明する。

矢田部教授の動きを知った伊藤篤太郎は、トガクシソウを新属としてイギリスの植物学雑誌に発表

このことに矢田部教授は激怒し、伊藤篤太郎を植物学教室の出入りを禁止する。

それでは、破門草事件を詳しく見ていきましょう。

ちなみに、らんまんでは次のような人物設定になっていますよ。

伊藤篤太郎→伊藤孝光(落合モトキさん)
矢田部良吉→田邊教授(要潤さん)

伊藤謙がトガクシソウを採集

1875年、伊藤篤太郎の叔父・伊藤謙が、長野県戸隠山でトカグシソウを採集しました。

採集したトガクシソウを小石川植物園に移植して研究を進めていましたが、28歳の若さで亡くなってしまいます。

トガクシソウの研究は、伊藤篤太郎が引き継ぐことになりました。

篤太郎・トガクシソウの鑑定依頼

叔父の研究を引き継いでいた伊藤篤太郎は、ロシアの植物学者・マキシモヴィッチに鑑定を依頼します。

鑑定結果は「メギ科ミヤオソウ属の一種」で、1886年に学術誌で発表しました。

<1886年>
「Podophyllum japonicum T.Itô ex Maxim.」を発表

矢田部もトガクシソウの研究をしていた

東京大学植物学教室の教授・矢田部良吉も、1884年にトガクシソウを採集し、小石川植物園へ植栽していました。

矢田部教授も伊藤篤太郎と同じく、トガクシソウの研究を進めていたのです。

1886年にトガクシソウが開花したため、標本をマキシモヴィッチに送って鑑定を依頼します。

マキシモヴィッチからの鑑定結果は、

メギ科の新属と考えられる。
正式発表の前に花の標本が欲しい。

標本を送った植物を新属と考えているとし、発表する前にもう少し資料が欲しいという回答がありました。

矢田部教授は「トガクシショウマ」という和名を付けようと考えていました。

篤太郎、新属を発表

矢田部教授の動きを知った伊藤篤太郎は、叔父が最初に見つけたトガクシソウが新属であったことを知ります。

そして、トガクシソウの学名に矢田部教授が献名されることに伊藤篤太郎は焦りを感じたのです。

<1888年>
「Ranzania japonica (T.Itô ex Maxim.) T.Itô」を発表

伊藤篤太郎はトガクシソウを新属「ランザニア属」として、1886年に発表していた学名を組み替え、イギリスの植物学雑誌に発表しました。

矢田部教授の怒り

伊藤篤太郎はトガクシソウを新属として先に発表しました。

その為、矢田部教授とマキシモヴィッチが進めていた研究は無効になってしまいます。

このことに、矢田部教授は激怒してしまいます。

伊藤篤太郎を
植物学教室の出入りを禁止にする

伊藤篤太郎は、植物学教室の出入りが出来なくなってしまいました。

これは日本の植物界からの追放とも言われていて、トガクシソウが「破門草」と呼ばれるようになったのです。

伊藤篤太郎と矢田部良吉の関係性について

伊藤篤太郎と矢田部良吉の間で、トガクシソウの学名を巡る事件・破門草事件(トガクシソウ事件)が起きました。

伊藤篤太郎と矢田部良吉はどのような関係性なのでしょうか。

【伊藤篤太郎と矢田部良吉】
東京大学植物学教室で植物の研究をしていた同志

東京大学植物学の教授をしていた矢田部良吉は、伊藤篤太郎を植物学教室の出入りを許していました。

2人は植物の研究をする同志でしたが、前述の「破門草事件(トガクシソウ事件)」で関係が変化してしまいます。

トガクシソウの学名を巡り、確執が生まれる

伊藤篤太郎にとっては、叔父が見つけたトガクシソウを他人の名前で学名になるのが許せませんでした。

一方の矢田部良吉も、自分が発見し、自分の名前で学名がつく筈だったトガクシソウを横取りされたと思っています。

矢田部良吉は、伊藤篤太郎を植物学教室への出入りを禁止し、2人の間には確執が生まれることになりました。

まとめ

破門草事件(トガクシソウ事件)の真相や伊藤篤太郎と矢田部良吉の関係性についてまとめました。

NHK連続テレビ小説「らんまん」で破門草事件(トガクシソウ事件)が描かれて話題になっていました。

破門草事件の内容は次の通りです。

伊藤篤太郎は、叔父が採集したトガクシソウをロシアのマキシモヴィッチに鑑定を依頼するが、新種ではなくメギ科ミヤオソウ属の一種だった。

その後、同植物の研究を進めていた矢田部教授がマキシモヴィッチに鑑定を依頼したところ、メギ科の新属ということが判明

矢田部教授の動きを知った伊藤篤太郎は、矢田部教授より先にトガクシソウを新属としてイギリスの植物学雑誌に発表

このことに怒った矢田部教授は、伊藤篤太郎を植物学教室の出入りを禁止する。

伊藤篤太郎は矢田部教授から東京大学植物学教室の出入りを許されていましたが、破門草事件をきっかけに確執が生まれることとなっています。

新種を見つけ、自分の名前で学名を付けたいというそれぞれの想いが破門草事件に発展してしまいましたね…

最後までご覧くださりありがとうございました。

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