植物学者の牧野富太郎(まきのとみたろう)さんは、NHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルとしても注目されています。
牧野富太郎さんは、植物分類学の基本を作った人物として有名ですが、一体どんな人だったのでしょうか。
今回は、牧野富太郎さんの逸話や生い立ちのエピソード、功績などについて調べてみました。
牧野富太郎の逸話は?
どんな生い立ち?
この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
- 牧野富太郎の逸話や生い立ちについて
- 牧野富太郎の功績について
牧野富太郎の逸話エピソード
2023年4月からNHK連続テレビ小説「らんまん」が放送されていますね。
「らんまん」主人公のモデルとなった牧野富太郎さんには、いくつか逸話があるんです(^^
牧野富太郎さんの逸話についてご紹介していきます。
好奇心で時計を分解
牧野富太郎さんは、幼少期から好奇心旺盛な性格をしていたそうです。
番頭の珍しい時計に興味を示した牧野さんは、時計の構造を知りたくて分解してしまいました。
好奇心で時計を分解して元に戻せなくなる
分解した部品を納得するまで調べたあと、元通りにできなくなってしまったそうですよ!!
牧野さんはその後、植物を解剖して詳細に描画するようになりますが、この時計を分解したことがキッカケなのではないかと言われています。
植物採取で叱られる
牧野富太郎さんは、研究のために尾瀬で植物採取をしていましたが、植物を取りすぎることもあったそうです。
そのとき、尾瀬の保護運動を行っていた平野長蔵さんに
研究だけじゃなくて、植物を保護することも考えてくれ
と叱られてしまったそうですよ。
金銭感覚の欠如
植物研究に熱心だった牧野富太郎さんは、金銭感覚が欠如していたそうなんです。
・実家(酒造業)の財産を使う
・妻が始めた料亭の収益を使う
・研究のため高価な書籍を購入
牧野さんは「植物一筋」で、研究のために高価な書籍や器具などの購入にお金を使っていたそうですよ!!
更には借金で多額の負債を抱えることになり、生活面ではとても苦労することになっています。
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牧野富太郎はどんな人?生い立ちエピソード
植物学の父と言われている牧野富太郎さんは、NHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルになっています。
4月24日は現在放送中の朝ドラ #らんまん の主人公のモデル、 #牧野富太郎 の誕生日です。『牧野日本植物図鑑』や多くの随筆を残しました。
— 国立国会図書館 NDL (@NDLJP) April 24, 2023
「近代日本人の肖像」には牧野の肖像写真があります。https://t.co/xEjG4UCSnl
#リサーチ・ナビ 「植物図鑑」もどうぞ。https://t.co/H8OhmxOzTx pic.twitter.com/fZhlc8yduy
牧野さんは94歳でこの世を去りましたが、亡くなる直前まで全国をまわり植物標本を作製していたと言います。
そんな牧野さんはどんな人だったのか、生い立ちを見ていきます。
幼少期
牧野富太郎さんは、1862年4月24日に現在の高知県高岡郡佐川町で長男として生まれ、「成太郎」と名付けられました。
酒造業を営んでいた裕福な家庭でしたが、牧野さんは幼い頃に家族を相次いで亡くしています。
・3歳…父親を亡くす
・5歳…母親を亡くす
・6歳…祖父を亡くす
それから牧野さんは祖母に育てられ、開運の意味もこめて名前を「富太郎」に改名しました。
牧野さんは幼少の頃から植物が好きで、一番好きだったのはバイカオウレンという花だったそうですよ。
少年期
牧野富太郎さんは、10歳のころから私塾や名教館で学問をはじめます。
・10歳…習字や漢学、算術を学ぶ
・11歳…地理や物理、天文学を学ぶ
学校制度が整って名教館は廃校になり、新設された佐川小学校に通っていました。
小学校での学問に物足りなさを感じていた牧野さんは、2年で小学校を自主退学します。
その後は、植物採取のため山を歩き回り、観察・絵を描くなど、独学で植物を学んでいきます。
青年期
牧野富太郎さんが15歳になったころ、小学校の臨時教員になりますが2年で退職しています。
そして、高知師範学校の教員・永沼小一郎さんに出会います。
永沼小一郎から植物学の基礎を教わる
牧野富太郎も独学の知識を教える
牧野さんと永沼さんは、植物についてお互いの知識を教え合うなど、刺激し合う仲だったそうですよ。
1884年に上京して東京大学理学部に出入りしながら植物採取や研究に没頭し、自ら印刷を手掛けた「日本植物志図篇」を刊行しました。
1888年、牧野さんが26歳の頃に小澤壽衛(すえ)さんと結婚します。
菓子屋の娘だった壽衛さんが店番をしている所、牧野さんが通りがかり一目惚れをしたそうです(^^
甘いもの好きの牧野さんが絶賛した百百合ようかんの記事はこちらです。
壮年期~
所帯を持った後も牧野さんは植物の研究を続け、珍しい植物を発見・命名するなどで植物学界で有名になっていきました。
日本全国をまわって植物採集し、植物雑誌や書籍を刊行します。
1912年、牧野さんが50歳の頃に東京大学の講師になりました。
しかし、当時は学歴を持たない牧野さんが大学講師を勤めることは異例のことだったそうですよ。
そして、1927年に牧野さんは理学博士の学位を受けました。
牧野さんは晩年も植物図鑑や自叙伝を刊行するなど、亡くなる直前まで植物学者として活動をしていたと言います。
牧野富太郎の功績まとめ
植物の研究に没頭してきた牧野富太郎さんは、新種の植物の発見や命名、植物標本の収集など様々な功績を残しています。
【1889年】
・新種の植物を発見
・日本人で初めて新種の「ヤマトグサ」に学名を付け、植物学雑誌で発表
【1890年】
・世界的にも珍しい食虫植物を発見・花が咲くことを確認する
・「ムジナモ」を命名
【1928年】
・新種のササを発見
・「スエコザサ」と命名
(妻の「壽衛(すえ)」から名前を取って命名)
【1939年】
・「牧野日本植物図鑑」を刊行
・牧野富太郎の集大成と言われる
そして、牧野さんが収集した植物標本は約40万点で、上記以外にも1,500種類以上の新種を命名しています。
牧野さんが描いた植物図は約1,700点あり、同じ植物でも個体によって緻密に描き分けていることから「牧野式」植物図と言われていますよ。
「牧野日本植物図鑑」はインターネット版もあるので、ネットで見ることもできます(^^♪
まとめ
NHK連続テレビ小説「らんまん」のモデル・牧野富太郎さんの逸話や生い立ち、功績についてまとめました。
植物学者として知られている牧野富太郎さんには次のような逸話があります。
・好奇心から時計を分解して元に戻せなくなる
・研究熱心で植物を取りすぎて怒られる
・研究の為にお金をつぎ込んで借金を抱えていた
牧野富太郎さんは1862年に高知県の裕福な家庭に生まれ、幼い頃に両親を亡くし祖母に育てられました。
幼い頃から植物が好きで独学で植物について学び、植物雑誌や書籍を刊行するなど、生涯研究に没頭しています。
牧野富太郎さんは新種の植物を発見・命名、1,700点もの植物図を手掛けるなど数々の功績も残しています。
牧野富太郎さんの逸話や生い立ちを見ていると、本当に植物が大好きだったことがわかりますよね♪
最後までご覧くださってありがとうございました。
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