朝の連続テレビ小説『らんまん』で要潤さん演じる田邊教授が話題です。
要潤さんといえば、最近悪役の演技が際立っていますよね♪
今回の『らんまん』でも、主人公の万太郎に立ちはだかる教授役として、注目が集まっているようです。
そんな要潤さん演じる田邊教授の妻役には中田青渚さんが抜擢されています。
かなり年齢差がある夫婦のように見えますが、田邊教授のモデルと言われている矢田部良吉さん夫婦も年齢差があったのか気になりますよね。
この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
田邊教授の妻役の聡子にモデルはいるの?
田邊教授のモデルとなった矢田部の前妻・後妻はどんな人?
- 田邊教授の妻役のモデルとは
- 田邊教授のモデルである矢田部教授の前妻・後妻
らんまん田邊教授(矢田部良吉)の妻(聡子)のモデルは実在する?
朝の連続テレビ小説『らんまん』に、田邊教授の妻である聡子が登場しました。
田邊教授といえば、主人公の万太郎の前に立ちはだかる権力としても話題ですよね。
田邊教授を演じている要潤さんは1981年生まれの42歳、対して聡子を演じている中田青渚さんは2000年生まれの23歳でかなり歳の差がありますよね。
田邊教授は、矢田部良吉がモデルと言われていますが、聡子にもモデルとなる人物がいるのでしょうか?
結論から言うと、
と考えるのが妥当です。
矢田部良吉は、2回結婚しています。
1回目は、7つ年下の録子という人物でした。
録子は残念ながら若くして病死してしまい、その後に順と再婚をしています。
順は矢田部良吉より18歳年下でした。
年齢差から考えても、
と考えて間違い無いでしょう。
らんまん田邊教授(矢田部良吉)の前妻について
『らんまん』で、中田青渚さんが演じる田邊聡子のモデルになっているのは、矢田部良吉の後妻である順だといわれています。
では、最初の妻はどんな方だったのでしょうか?
調べてみると、以下の情報がわかってきました。
- 矢田部良吉の最初の妻は7歳年下の録子
- 録子の父は、医師で勝海舟の主治医を務めた名医
- 良吉と録子は1878年に結婚
- 1887年に録子は29歳の若さで病死
残念ながら録子が病死してしまったために、良吉との結婚関係は10年経たずに終わってしまうこととなりました。
らんまん田邊教授(矢田部良吉)の後妻(順)との出会いについて
では、聡子のモデルとなっている順とはどのような出会いだったのでしょうか?
18歳も歳の差があるので、出会い方も気になりますよね。
調べてみると、
ということがわかりました。
良吉と結婚した時の順は18歳だったこともわかっています。
教え子との結婚ではありますが、東京専門学校(早稲田大学)の校長を務めた政治家の鳩山和夫・鳩山春子夫妻が2人の結婚の媒酌人を務めたことから、特に二人の関係は後ろめたいものではありませんでした。
でも、今の時代でも教師と教え子の結婚というと話題になりますよね。
当時は今とは比べ物にならないぐらい、教師である良吉と教え子の順の結婚はスキャンダル扱いを受けることになりました。
その分かりやすい例が、
「濁世」は、東京貴婦人学校校長の刑部甞一と、女学生の柳ヶ瀬順子が愛欲に身を任せ、禁断の恋に落ちるというスキャンダラスな小説です。
刑部のモデルが良吉、柳ヶ瀬のモデルが順なことは明らかです。
この読者からは批判が巻き起こり、女子教育そのものを批判する流れにまで発展しました。
そして、これが直接的な原因ではありませんが、良吉は学長との軋轢などの原因から、結果として東京大学の教授職を去ることにつながったとされています。
私生活では、順との間には3人の子どもに恵まれ、うち1人は国立音楽大学創始者の1人に成長しました。
まとめ
今回は、朝の連続テレビ小説『らんまん』で、中田青渚さんが演じる田邊聡子のモデルについて調べました。
まとめると、
- 田邊聡子のモデルは、矢田部良吉の後妻の順
- 順と結婚する前、矢田部良吉(田邊教授のモデル)は録子と結婚していたが、録子が病死したことで、順との再婚に至った
- 順と良吉は18歳差で、順は良吉の教え子であった
- 教師と教え子の結婚は、批判を巻き起こし、「濁世」という小説のモデルにされるなどスキャンダルとなった
- スキャンダルも間接的な原因となり、良吉は教授職を終われることになったが、私生活では子供たちにも恵まれた生涯であった
ということがわかりました。
『らんまん』も後半戦に突入し、登場人物からも目が離せませんね♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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