宇田川潤四郎の妻や息子の現在は?家庭裁判所や宇治少年院開設の経歴についても

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NHKの朝ドラ『虎に翼』に登場する多岐川幸四郎(滝藤賢一さん演)のモデルは、三淵嘉子さんの上司・宇田川潤四郎(うだがわじゅんしろう)さんだと言われていますね。

家庭裁判所の父と呼ばれていた宇田川潤四郎さんですが、奥さんや息子さんはどんな人だったのか、現在の様子も気になりますよね!

今回は、宇田川潤四郎さんの妻や息子さんの現在、家庭裁判所の父と呼ばれた理由などについても調べてみました。

宇田川潤四郎の妻はどんな人だった?
宇治少年院を開設の経緯は?

この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。

\この記事を読んでわかること/
  • 宇田川潤四郎の妻はどんな人だったのか
  • 宇田川潤四郎の息子・潔の現在
  • 宇田川潤四郎が家庭裁判所の父と言われた理由と宇治少年院について

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目次

宇田川潤四郎の妻はどんな人?家庭裁判所の父を支えた奥さん

朝の連続テレビ小説『虎に翼』に、滝藤賢一さん演じる多岐川幸四郎が登場していますね。

多岐川幸四郎のモデルとなったのが、最高裁判所の初代家庭局長を務めた宇田川潤四郎さんだと言われています。

宇田川潤四郎さんは「家庭裁判所の父」と称された人物ですが、奥さんはどんな方だったのでしょうか。

【宇田川潤四郎の妻はどんな人?】
妻・千代子さんの人物像は不明

※2024年6月13日時点

宇田川潤四郎さんの奥さんがどんな人物だったのか調査してみましたが、残念ながら情報は見つかりませんでした。

宇田川潤四郎さんは、1932年に満州国に派遣されています。

終戦後、奥さん・子供と引き揚げてきたと言いますが、帰国後すぐに奥さんは亡くなってしまったとのことですよ。

奥さんを亡くして無気力になっていた宇田川潤四郎さんですが、

戦争孤児なった子供たちを救うことで、自分の子供の将来も明るくなる

…と感じ、少年たちの力になっていこうと決意したと言いますよ。

宇田川潤四郎の息子・潔さんの現在は?

三淵嘉子さんの上司で裁判官だった宇田川潤四郎さんには、息子・潔さんがいらっしゃいます。

息子の潔さんの現在はどのように過ごしているのでしょうか。

【宇田川潤四郎の息子・潔の現在】
・潔さんの詳細は不明
・2024年現在の年齢は89歳

※2024年6月13日時点

追記2024年6月20日

こちらの記事の読者より情報提供がございました。

潔さんは2023年5月に亡くなられました。享年89歳。
以前は東京銀行にお勤めでだったようです

息子の潔さんについて調べてみましたが、情報が見つかりませんでした。

潔さんは朝日新聞デジタルの取材を受けていたことがありました。

▼2021年3月朝日新聞デジタルの取材
潔さんは当時86歳
…2024年現在で89歳くらい

※朝日新聞デジタル公式サイト

記事が出た当時の潔さんは86歳だったので、2024年現在は89歳くらいということになりますね。

他にも、三淵嘉子さん関連の書籍の取材なども受けており、後世に父・宇田川潤四郎さんについて語り継いでいますよ。

宇田川潤四郎が家庭裁判所の父と言われた理由と宇治少年院の開設について

裁判官の宇田川潤四郎さんは、「家庭裁判所の父」と言われていましたが、その理由は何だったのでしょうか。

また、宇田川潤四郎さんは終戦後、日本の戦争孤児たちの姿をみて力になりたいと活動し、宇治少年院を開設していますね。

宇田川潤四郎さんが「家庭裁判所の父」と言われた理由や宇治少年院について見ていきます。

家庭裁判所の父と呼ばれていたのはなぜ?

宇田川潤四郎さんが「家庭裁判所の父」と言われていた理由はこちらです。

家庭裁判所の設立・整備に中心人物として関わっていた

戦後、GHQから家庭裁判所を作るようにと指示がありました。

子供や女性の権利を守ることを目的に、家庭裁判所の設立を指示

宇田川潤四郎さんは、アメリカの家庭裁判所の視察経験がある裁判官・内藤頼博さんと共に、家庭裁判所設立に奔走します。

・調査官制度を作成
・戦争孤児の救済
・満州からの引揚者を採用

宇田川潤四郎さんと内藤頼博さんは、戦争孤児たちの支援やボランティア活動に参加しました。

その後、1949年1月1日に家庭裁判所が誕生し、宇田川潤四郎さんの活動が評価されて最高裁家庭局の初代局長に任命されていますよ。

以上のように、家庭裁判所設立の中心人物となり尽力してきたことから「家庭裁判所の父」と言われるようになりました。

宇治少年院について

宇田川潤四郎さんは、宇治に「宇治少年院」を設立しています。

その経緯は何だったのでしょうか。

終戦後の日本には約12万人もの戦争孤児がいたため、少年保護施設の設立を目指していた

終戦後に宇田川潤四郎さんが満州から帰国したとき、日本には約12万人の戦争孤児がいたと言います。

当時は保護施設の数が足りず、施設に収容されても逃げ出す子供も居たそうですよ。

その光景をみた宇田川潤四郎さんは子供たちを救いたいと強く感じました。

子供の非行防止のための活動、BBS運動(少年の更生を目的とする団体)などをスタート

1946年に宇田川潤四郎さんは大阪地方裁判所の裁判官となり、その後京都少年審判所の所長となります。

大学生らの協力を仰ぎ、子供たちを救うための活動をスタートさせました。

そして、旧日本軍の施設があった宇治に「宇治少年院」を設立することとなっていますよ。

子供たちを助けるために尽力してきたことが伺えますよね。

まとめ

宇田川潤四郎さんの妻と息子の現在についてや家庭裁判所の父と呼ばれた理由などについてまとめました。

宇田川潤四郎さんの奥さんと息子・潔さんについては下記の通りです。

▼奥さんについて
千代子さんは既に亡くなっており人物像は不明

▼息子・潔さんについて
・潔さんの現在については不明
・2024年現在は89歳くらい
・2021年には取材などを受けていた

※2024年6月13日時点の情報

宇田川潤四郎さんが家庭裁判所の父と呼ばれた理由と、宇治少年院設立については下記の通りです。

家庭裁判所の父と呼ばれた理由
家庭裁判所の設立と整備の中心人物として活動していた

宇治少年院の設立について
戦後満州から帰国したとき、日本にいた戦争孤児たちを助けたいという想いから保護施設の設立を目指していた

宇田川潤四郎さんの奥さんや息子さんの詳細は不明でしたが、宇田川さん自身は子供たちのために献身的に活動していた人物ということがわかりましたね^^

最後までご覧くださりありがとうございました。

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